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空歌応里~くうかおうり~

井の中の蛙のまま、つらつらと書くのです。 

「ある」で書けと言ってるんだから、あるんだ。

 

文章書くのが好きです。

好き勝手書くのが好きです。

 

学校の作文(&小論文)は嫌いでした。

 

大人の望む作文

 

何が嫌いって……『大人が望むものを書かなければいけない』ってところ。

一度、作文で賞をとった(大したものではなかった)けど、その作文、実は…

前年度の人の真似をしたのです。

その作文は毎年、良いものは全校生徒の前で発表するのです。

で、毎年聞いてると、ああ、こーいう傾向が発表されるんだなって頭の中に残ってしまって、真似してみたら賞をとってしまった。

 

嬉しいとか全く思わなかったわけではないけど

嬉しいよりも『大人ってコーいうのが好きなんだな』と思ってしまった。

 

で、二度とこんなの書きたくないと思った。

次にそんなのを書く事になったのは、推薦入試の作文。

それまでは、適当に大人の望むものから外して書いてたのに、

それはまじめに書いてみたら、先生から

「本当にこれ、あなたが書いたの?」と言われてしまった。

 

ショックすぎる。

そんなに大人に合ったモノなんだと分かってしまって、ショックだった。

まぁ。自分を殺せば、他人のための文章なんて書けるんだけど、それ、ホントに嫌だから。

私の中では『頑張って他人のためと思って書いてみたけど、やっぱり出来なかった』みたいなものを期待してた。

そしたら、わざわざ自分を殺してまで書く必要ないじゃないと思えるから。

でも、結果はなんだか違って、先生の受けが良かった。

 

ああ。本気で嫌だ。そーいうのが書けてしまった自分が嫌だ。

ってことで、それ以降は書いてない。……そんなに本気になる事も起きなかったというのもある。

 

自分の望むもの

 

で、高校の時、思った。

適当ではなく、他人の望むものでもなく、自分の望むものを書いたらどうなるのかなと。

結果。。全否定。

うん。ま。分かってたけど。やっぱりこれからも、適当でイイと思った。

読書感想文も毎年コピーで書いてた。だって、出す意味ないし、出してるだけでも私すごいと思ってた。

 

高校の時の小論文の問題。

『優しさとは何だと思うか?』

みたいなのだった。【優しさ】の部分は、愛とか勇気とか……だったかもしれない。とりあえず、目に見えないものだった。

 

で、私、そんなものないって書いたんです。

無いと思う理由をたくさん書いたのです。

 

もちろん、『ある前提』なんだろうなぁと思いながら……『ない前提』でない理由を書き連ねてみた。

 

結果は最低点(文字を書いた分だけの点数)で

コメントには一言

『問題文はあることになっているのですから、『ある』という前提で書きなさい』みたいな事が書いてあった。

いや。問題文には『ある前提で書け』なんて一言もなかったんですが?

『何』かと問うから、それが『ない(存在しない何か)』として書いただけだけど?

 

『設問者がその前提で問題作ってるんだ。だから、書いてなくても判れ』っていうのは暴論だと思う。

 

 

けど、その暴論がまかり通るのが学校っていう場所なんだよなぁ。

 

まぁ。大人向きに『優しさを感じたのは○○という体験を通して……』とかいうのを書いたら良かったんだよね。というのは分かる。

 

小論文ってなーに?

今更だけど、調べてみた。

 

小論文:意見&理由を述べる

作文:体験や感想を書く
小論文って何? 作文との違いを知る | Benesse マナビジョン

 

形式だけなら間違ってないと思うんだけどなぁ。

意見と理由を述べても、意見が大人の都合に合わないので却下されるって今考えても酷いと思ってる。

 

ま。もう、学生じゃないし、今の学校は違うのかもしれないけど……。

 

今、好き勝手に書けて幸せだと思う。

 

 

ではでは、言野(この)でした。

コメントは無理しない。

 

以前、私が呟くたびに「早く寝た方がいいよ」とコメントが返ってきた。

正直余計なお世話だと思う。

放っておけばいいのは分かっていたけど、そんなコメントが付くとうんざりする。

批判や悪口ならブラックリスト入りでいいと思うけど、

一番めんどくさいのは『善意のおしつけ』コメントだったりする。

 

他にもブログを書いていれば、何かとコメントをくれる人がいた。

最初は丁寧に返していたものの、段々めんどくさくなってきたので放置することにした。

そうすると、記事内容とは無関係なコメントをいくつかするようになってきた。

さすがにそれは困るので、「内容に関係ない事はご遠慮ください」とコメントを返すと

メッセージで

「ブログを書いているという事は、コメントが欲しいと思って書いていた」

と言ったような事を言ってきた。

 

 

……重い。重すぎる。

 

いや。コメントがあればうれしいよ。

でもね。迷惑コメントもあるし、『コメントならば何でも嬉しい』わけでもない。

明らかに無理して書いてるから記事内容から離れるんだなというのは感じてたけど、

それにしても重すぎる。

 

ごめんなさい。それ、私は要りません。

 

単純に「面白かったよ」の一言だっていいんです。

(「つまんない」は凹みますが、つまんないと伝える労力はごくろうさまと思います)

もっと言えば、「見たよ」だって別にいい。「いいね」とか「悲しいね」とか。

無理して長々と書くくらいなら一言完結の方がうれしい。

 

と書きながら、昔は『一言完結』なんて要らないとか思ってた時もあったけど。

 

誰にだって言える言葉じゃないか、適当にいってるんでしょ……とか思ってた。

いや。うん。失礼な奴だなぁ。……でも、そーいう時期も大切。

 

今は一言完結で良いと思ってる。

どんな言葉を尽くしたって、相手の心は分かんないんだから、

『何かしら関心を持って読んでくれたんだな』って思う事にしておく。

 

もちろん、詳しく長々語ってくれても嬉しいのだけど……無理しない範囲で。

 

 

ついでにね。批判コメントでも無理するのは良くないと思う。

これもまた、むかーしの話だけど

批判めいたコメントをもらった。ただし、そこには重箱の隅をつつくような、要点とは別の批判も含んでた。

ので、当時の私は『批判したいだけの人』なんだなと思いつつも返信してたけど、そのうち要点以外の批判に重点を置くようになったので、放置することにした。

すると、こんなメッセージが来た。

 

「不愉快にさせて、ごめんなさい。純粋に疑問だっただけなのです」

 

このメッセージを読んで、ああ。私失敗した。と思った。

私が勝手に「批判したいだけの人」と判断して、返したことは失敗だった。

けど、同時にやり取りを続けていたら、お互いに理解できたか……というと疑問だとも思った。

私は相手の疑問が理解できなかったし、おそらく相手も私の言葉を理解できなかっただろうと思う。

ま。でも……『イラッ』のまま返信するのは良くないなということは学習した。

 

……それでもやっちゃうときあるケド><

一息つくのは大切と頭の隅に置いておく。

 

 

といいつつ、このブログ、コメント欄は設けてません。

めんどくさいコメント対応、できる気がしないので。

そのうちコメント欄付けるかもしれませんが、今は予定なしです。