空歌応里~くうかおうり~

井の中の蛙のまま、つらつらと書くのです。 

場面かんもくの場面は『場所』?

 

ツイッターを見てたら、

 

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『特定の場において(場によって)』喋れないことがある場合は場面緘黙, どの場でも ほぼ全ての場において…という場合は全緘黙と言われてたりします。

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というのを見かけた。

……あ。ツイッターからの引用してないです。やり方わかんないので。

 

で、その下には質問箱の画像があってそこに『場面緘黙は場所だけじゃなく、喋れる人、喋れない人がいたりしますか?』とあった。

 

……質問と答えが若干あってない気がするけれど、たぶん、答えた人の中では

『喋れる人、喋れない人』が「場面緘黙の人」を指すと思ったのかもしれない。

私は『喋れる人、喋れない人』を「話し相手」と思ったけど。

 

 

 

話を戻して、『場面緘黙は場所だけでなく、話し相手によって喋れる人や喋れない人がいる』と私は思ってる。

だって、『場面緘黙の場面』は『場所』と言う意味ではなくて、『シーン』だと思ってるから。

場所が変わると、シーンが変わる……というのは分かりやすいんだけど、場所が同じで人が一人増えるっていうのもシーンが変わる。

だから、そこで喋れる喋れないの変化は当然あるわけで……。

 

それまで喋れてた相手だけど、誰かが増えて喋れないとか、

それまで喋れなかった相手だけど、安心する相手が来てくれて喋れるとか。

 

そーいうのもあるんじゃないかなーと思うのだけれども、そーいう事書いてあるページって見かけない。

探し方が足りないのか?

大抵『家で喋れても、学校などで喋れない』……んじゃ。大人に場面緘黙なんて存在しないじゃん。

みんな、大人になれば治るよ…なんていう楽しい話になってしまう。

実際はドロップアウトして引きこもりだろうけど。もしくは自殺か。運よく理解ある職場か合う職場に辿り着ければラッキー。

 

 

 

『元場面緘黙』とか『克服した』とか言うのを見ると……。

へー。すごいなぁと思う。

で、そーいう人達の言葉はすごく痛い。だって、ものすごくポジティブで正論で

『話さない人間が悪い』と思わされてしまう。

特に「克服した」とかいう人の言葉は、「それが出来たら、普通に社会人やってるよ!!」と言いたくなるような事しか書いてないので見ない。

 

 

ツイッターでも

「中途半端に喋れる元場面緘黙が他の人に『喋れない病気』だと説明しても理解してもらえない。「喋れるのに何でも障害のせいにするな」と言われたらツム」

みたいなのを見かけた。

まさしくそれだ。

そして、それと同じことを『場面緘黙者同士』で見る。

もしかしたら『元場面緘黙者同士』かもしれない。

 

 

 

喋れても、なんでもOKではない。喋れない場面が存在する。

それを理解してもらうのは難しい。

別に障害のせいにしたいわけではない。

これ以上期待されても無理ですよという意思表示だ。

 

『喋れる=いつでもどこでも』を期待しないでほしいという事だ。

さらに言うのなら、こちらが話す言葉は最小限で、単語OKでお願いします。

 

……でも、健常者に見えたら、「何で?普通に喋れるでしょ?」になるでしょ?

だから、障害を前に出す。

なんでもかんでも『障害にするな』というのなら、『相手はそんな人なんだ』で流してください。

ちょっと変わってるけど、まいっか。……と思ってくれない人がほとんどだから障害にしてしまうしかない。ような気がする。

……それとは別に名前が付くと、症例が集まって研究しやすくなって対応も検討できるというのもあるだろうけど。

 

 

 

で。克服したっていう人て、すごいなーと思う。

だって、お喋り怖くないんでしょ?いつでもどこでも誰とでもお喋りできるんでしょ?

すごーーい。あこがれるー。あこがれるケド……。

たぶん、私がそうなるのはボケた時だろうな。正気では無理。

 

だから、私に出来るのは

『話せない場面』を減らすこと。

『話せない感覚』と『話せる感覚』を知ること。

『話す理由』を見つけること。

 

この辺りかなと思っている。

 

元場面緘黙になれても、克服は無理。

ついでに、『元場面緘黙』っていうのは、「話せる場所が少し増えた」ぐらいの変化でしかない。

克服した=元場面緘黙ではないと思ってる。

 

『場面緘黙克服』っていうのは『話す時の不安が消えた。いつでもどこでも誰とでも喋れる』ぐらいで使ってほしい。と、個人的に思う。

 

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場面緘黙の一番の原因は『不安』なのだから。

不安克服ってすごい……と思うケド、克服したと言ってる人がそーいう意味で使ってるかどうかは疑問。

 

 

……おまけ。

 

『喋りたい』という想いがなければ、「場面緘黙ではない」……っていうの変だと思う。

どこでそんな変な冠がついたのかなーとちょっと調べたら、

本?

かんもくの本からっぽいぞ。。と思った。たぶん、サブタイトルで付けたのかもしれない。

判りやすくするためだったのかもしれない。

 

けど、私が最初に個人のホームページで見た時は名前の通り

『場面(学校など)で喋れない症状がある人』だったよ。

そこに『喋る事に不安がある』みたいな説明もついてた。

 

正直、『喋る事が怖い』のに『喋りたい』って変だと思う。

どっちが先?喋る事怖いの?喋りたいの?って言ったら、たぶん、『緘黙かも』と思ってる人の大半が『怖い!!』というような気がする。

 

だから、私は『喋りたいのに喋れないのなら、場面緘黙』ではなくて

『喋る事が怖くて喋れないのなら、場面緘黙』だと思う。

 

 

……もっとざっくりいうのなら、『喋りたいなら、喋ればいいじゃん。なんで喋んないの?』って突っ込まれてから、「怖いから」とか説明するの?

めんどうだなと思うんだけど。

 

 

喋る事が怖いんだから、説明する言葉は短く的確にした方がいいと思う。

『話すことが怖いから話せない』以上!!

……ま。それはそれで?「へ??」と思われるんだろうけど、そこで、『そーいう病気』っていう説明でいいんじゃなかろうか。

 

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書いて思うこと……雑記

 

かんもくをつらつらと書き連ねて思うのは

なんかちがうなーって事。

 

言いたいことの半分も書いてない気がする。

 

で、ふと、やっぱり小説形式の方がいいなーと思う。

漫画を書けたら漫画を書くのかもしれないケド…漫画の大変さは分かってるので無理。

画力もないし、疲れるし←マテ

 

 

いろんなものを内包したキャラクターに全て語らせる方が

なんかしっくりくるような気がする。

 

嘘と記憶を混ぜ込んで。

 

そんなわけで、書いてみようと思うケド、公開は……来年かな。...("= =) トオイメ目

 

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